柳井正はなぜ世界一を目指せたのか

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June 5, 2024
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柳井正はなぜ世界一を目指せたのか

TL;DR

柳井正の経営は終わりから逆算する発想に支えられ、店舗数がまだ少ない段階で「終わりは世界一」と定めた。紳士服店から十数年かけてたどり着いたユニクロの形を、成功のわずか二年後に自ら壊して製造小売業へ転換した。世界で戦うには服を売る前に「ユニクロとは何か」を定義し直す必要があった。

Transcript

今日テーマはユニクロ徹底解剖という テーマでお聞したいんですが我々到達線 しか知らないんでなんかすごい経営者 だろうなと思うじゃないですかま確かに すごいんですけど1個1個それ解剖して いくと誰にでもできるんじゃないか再現性 があるんじゃないかと9のの質問用意した んですね産業の経営論というのがあると本 を読む時は初めから終わりでもビジネスは 逆だと逆算の思考ですよねじゃあ終わ りってなんだとまだユニクロが20何店舗 ぐらいの時にあの決めたいではあるんです けども終わりは世界1だとユニクロが ちょっとヒットした広島でヒットした 西日本でだんだんだんだん受け入れられて いった世界で戦えるんじゃないか戦うため にはどうすればいいのか現状だとダメです よねそのグランドデザインに沿って ようやく見つ... Read More

Key Insights

  • 柳井正の経営の核は逆算思考であり、本は初めから終わりへ読むがビジネスは終わりから始めるという教えを座右の銘としている。
  • ユニクロのグランドデザインは店舗数がまだ少ない時期に描かれ、まず日本一、その次に世界一という順序で目標が定められた。
  • ユニクロの原型はカジュアルウェアの倉庫であり、他社ブランドを仕入れて並べ客に選ばせる業態として広島で当たった。
  • 紳士服店からユニクロという形にたどり着くまで十年以上かかったが、その成功の型を捨てる決断はわずか二年後に下された。
  • 製造小売業への転換は失敗を前提に始められ、社内文書には自分でほとんど失敗すると書かれていたと杉本氏は語る。
  • 香港で自社より安く売られていたポロシャツを見た柳井氏は、その作り手に直接会いに行き、自分にもできると確信した。
  • 海外進出の初期に売れなかった原因は認知の欠如であり、服を売る前にユニクロという存在を売る必要があると気づいた。
  • 佐藤可士和氏への依頼はCM制作ではなく世界戦略そのものであり、柳井氏は自ら手を動かせる作り手を信頼している。

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Questions & Answers

Q: 柳井正の三行の経営論とは何ですか?

ハロルド・ジェニーン氏の著書の要点を凝縮したもので、本を読む時は初めから終わりへ進むが、ビジネスは逆に終わりから始めるという逆算の思考を指す。柳井氏はこれを座右の銘とし、終わりを世界一と定めたうえで、そこから逆算して日本一になるために何が必要かを考えていった。

Q: 柳井正はどんな人物ですか?

杉本氏の第一印象は少し怖い人というもので、歯に衣着せぬ言い方をし、答えが一行で返ってくるほど簡潔だという。酒を飲まない体質で飲み会にはほとんど行かず、朝早く出社して夕方には帰る生活を送る。一方で相当な読書家で、本社には図書館のような場所があり、自分が読んだ本を社員に勧めている。

Q: 柳井正が最も影響を受けた本は何ですか?

マクドナルド創業者のレイ・クロック氏の著書と、アメリカの通信会社の社長だったハロルド・ジェニーン氏が経営論を語った『プロフェッショナルマネージャー』の二冊が挙げられている。後者は当時きわめてマイナーな本で、柳井氏が書店でたまたま見つけて衝撃を受け、その本を有名にしたと言ってよいと杉本氏は語る。

Q: ユニクロはなぜ成功した業態を壊したのですか?

創業時のユニクロはカジュアルウェアの倉庫として他社の服を仕入れて並べる業態だったが、そのままでは世界で戦えないと判断されたためである。紳士服店から十年以上かけてたどり着いた形を、成功のわずか二年後に抜本的に作り替え、自らデザインしてアジアの工場で作り全量を買い取る製造小売業へ移行した。

Q: 柳井正が製造小売業へ転換したきっかけは何ですか?

香港のある店で手に取ったポロシャツが、自社が利益の出るぎりぎりの価格で出していた商品より明らかに安く売られていたことがきっかけである。柳井氏はアジアだから安いのだろうと片づけず、作った本人に会いに行った。相手はジョルダーノを創業した人物で、この人にできるなら自分にもできると考えたという。

Q: ユニクロの旗艦店戦略とは何ですか?

郊外のロードサイド店を中国地方から広げていった段階の次に打った手で、アパレル産業の中心から遠い会社が認知を得るには、服を売る前にユニクロそのものを売る必要があるという気づきに基づく。その第一号が東京の原宿の店舗であり、その後に海外進出が続いた。

Q: ユニクロの海外進出はなぜ最初につまずいたのですか?

現地でまったく売れず、認知されなかったためである。多くの服屋がある中でユニクロを選ぶ理由が伝わっておらず、ユニクロとは何かという定義が確立していなかった。そこから何年もかけて、自分たちで作ること、ユニセックスであること、さらには部品や道具といった言葉で自社の存在意義を定義し直していった。

Q: 柳井正はなぜ佐藤可士和に世界戦略を任せたのですか?

柳井氏はクリエイターやコンサルタントを一般には信用しておらず、口だけで手を動かさないからだと語っている。佐藤氏が手がけた折りたたみ携帯を見て、自分で作れる人だと感じ取ったことが決め手になった。佐藤氏は当初CM制作の依頼だと思い断るつもりだったが、任されたのは世界戦略そのものだった。

Q: ユニクロの店舗で服を畳んで積み上げるのはなぜですか?

服を部品や道具と定義したことが店舗デザインに反映されているためである。ボリューム陳列と呼ばれるこの見せ方は、圧倒的な色数と量を無言で示し、だから安く提供できるのだと伝える狙いがある。海外のスタッフには畳み直す手間が無駄だと当初受け入れられなかったが、まずやってくれと押し通していった。

Q: 柳井正と孫正義の関係はどのようなものですか?

柳井氏はソフトバンクの社外取締役を長年務め、同社が携帯事業へ参入する際、巨額の買収に反対の声が多い中でやるべきだと孫氏を後押しした。情報革命を起こすならモバイルインターネットの時代に備えて携帯会社が必要だという孫氏の戦略を理解していたためだが、柳井氏自身は当時携帯電話を持っていなかった。

Summary & Key Takeaways

  • 杉本貴司氏は日本経済新聞の編集委員として柳井正氏に何度も取材を重ね、その蓄積を一冊にまとめた。柳井氏は言葉が極端に簡潔で、秘めた思いを容易には語らない人物だという。ただし出発点はどこの商店街にもいるような地方の紳士服店の経営者であり、与えられた条件は特別なものではなかった。だからこそ一つ一つ解剖していけば再現性があるのではないか、という視点で本は書かれている。

  • 柳井氏が座右の銘とするのは、ハロルド・ジェニーン氏の著書にある「本を読む時は初めから終わりへ、しかしビジネスは終わりから始める」という逆算の考え方である。まだ店舗数がわずかだった時期に、終わりは世界一だと決め、まず日本一になり、次に世界一になるために何をすべきかというグランドデザインを一九九〇年代初めに定めた。柳井氏はマクドナルド創業者レイ・クロック氏の本にも影響を受けている。

  • ユニクロの歩みの本質は、自ら見つけた成功の形を壊し続けたことにある。カジュアルウェアの倉庫として当たった業態を、成功のわずか二年後に製造小売業へ作り替えると決断した。郊外店中心の展開から旗艦店戦略へ転じ、東京の原宿に出店したのも同じ流れである。海外で認知されず苦戦した経験から、服とは何か、ユニクロとは何かという問いを佐藤可士和氏と毎週のように深め、部品や道具といったアパレル業界では使われない言葉で自社を定義していった。


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