はしがき 本書の主題は、 明六社 である。「明六社」という社名は、設立されたその年(明治六〔一八七三〕年) にちなむ。また、「明け六つ時」におそらくかけている。明け方の六つ時、つまり当時通用の不定時法に基づく、日の出の前後の時間帯のことで、夜の終わりとまばゆい日の光を連想させる名称である。
同社には、後に初代文部大臣を務め、商法講習所(のちの一橋大学) の設立でも知られる森有礼、また『日本道徳論』の著者で日本弘道会を設立した西村茂樹、「哲学」を始めとする各種学術用語の創案者として名高い 西周、元老院議員として活発に活動した津田真道、J・S・ミル『自由論』の翻訳(『自由之理』) や『西国立志編』で著名な中村正直、後に東京大学総理になる加藤弘之
それはこれらの顔ぶれを圧倒するスーパースターがいるからである。何を隠そう、福澤諭吉である。慶應義塾の創設者としてはもちろん、『学問のすゝめ』や『文明論之概略』の著者として今でも広く知られているし、その著書の内容も実際にとても面白く興味深い。この福澤もまた明六社のメンバーであったことが、明六社研究にとってはいささか不幸だった。
こうした事態を象徴するのは、たとえば 阪 谷 素 であろう。東京市長・阪谷 芳 郎 の父親であった 備中 井原(現岡山県) 出身のこの人物を知る人は多くない。だが、この阪谷もまた福澤諭吉とともに明六社の同人であった。しかも、明六社が発刊した機関誌『明六雑誌』全四三号を通覧すれば、福澤諭吉の投稿数はわずか三篇にすぎないのに対し、阪谷は実に二〇篇(
存命当時からもちろん著名であった福澤だが、日本思想史上のスーパースターの地位にまで押し上げられるにあたっては、政治学者であり政治思想史家でもあった丸山眞男による貢献が大きい。丸山は、戦後日本が実現するべき「近代」的な「市民社会」を実現する主体的な精神のありようを福澤諭吉に見出し、その「啓蒙思想家」としての価値を高く評価した(
彼らは決して「群小」な存在などではなかった。本書は、従来は脇役扱いされてきた人々を主役に据えて、明治初年の知的風景を描きなおすことを企図している。「福澤諭吉with his all-stars」としてではなく、福澤諭吉もone of themとして、対等な資格で参加する知的結社としての明六社の実相を描きだしたい。
そして重要なことは、意見の違いがやがて激しい人格的非難の応酬を導き、ついには互いの肉体的生命の 殲滅 を目指す闘争を招来するといった事態こそ、幕末という内乱状態のさなかで彼らのほとんどが経験し、 潜り抜けてきた当のものであったということである。互いの意見が異なることを認め合った上で、それでも議論を続けていくということ。
本書は明六社に集った同人のうち、すでに述べた森有礼、西村茂樹、西周、津田真道、中村正直、加藤弘之、福澤諭吉、阪谷素の八人を主として取り上げる。明六社に集う前とそれから、そして明六社での活動を主に『明六雑誌』所収のそれぞれの論説を材料に考えていく。
序 章 明治六年の東京物語 土佐の少年、備中の中年女性 明治六(一八七三) 年、二月二三日午後三時、東京は品川に一人の少年が降り立った。翌二四日の東京は大雪だった。大阪を 発ったのは、二日前二一日の午後四時、汽船太平丸に乗船しての船旅であった。郷里である土佐を彼が発ったのはさらにその一週間ほど前、一五日のことである。
土佐生まれの少年と備中井原生まれの中年女性。なんの接点もなさそうな二人ではあるが、本書のテーマである明六社を介してゆるやかにつながっている。少年の名は植木枝盛。そして女性の名は阪谷(山成) 恭子。
Import your Kindle highlights to review, organize, and share the ideas that matter most to you.
Get the free browser extension