興行は、ゲームとも映画とも出版とも異なる。後者はテキストや映像などの「表現をメディアに焼き付けたもの」で、ある意味平面的である。そしてあとから何度でも消費できる。制約なく何十万人、何百万人が同じように味わえる。だが興行は、能や歌舞伎も、演劇も漫才もミュージカルも、そしてスポーツも、「人と空間」がそのまま立体的なメディアとして成立している。コピーはできない。春の桜のように「消えてしまう」ものであり、だからこそ本当に美しく、見るものを魅了する。
作り方という意味でも、興行は特徴的である。生産と消費が同じ瞬間に成り立つというのは、ほかのエンタメにはない唯一無二の特徴であり、消費のされ方によって、生産している側が変化する。
現存する演劇の中で最古のものは「能」である。足利義満と世阿弥がそれぞれ 17 歳と 12 歳の時に出会った1374年に始まる、600年続いているエンタメである。武士の足利家がスポンサーとして貴族文化に代わりうるものとして発展させ、それはすなわち「文化的覇権」を握ろうという将軍義満の野望を代替する芸能でもあっ
世阿弥は当時スーパースターだった。役者としての美貌はもちろん、作詞家・作曲家としても作品を残し、演出から理論まで完璧に構成した( 01)。周囲が憤慨するほど将軍義満の寵愛を受け、当時としては〝当たり前〟だった衆道(男色)の関係があったと言われる。
彼の『風姿花伝』には「離見の見」「初心忘れるべからず」「秘すれば花なり」など現代まで残っている言葉も多い。現在200を超える能の演目の中には世阿弥が作り上げたものの多くが今なお残っている。 1人の演者が作詞、作曲、脚本、演出などをすべてこなす様は、現代の「マンガ家」をみるようだ。それぞれを緊密にすり合わせて作り上げる職人芸のような作品、解釈、そこに載せられた哲学などは、集団によるクリエイションには実現しえない凄みがある。
そのうえで著作権の希薄な能は、同じ演目がほかの流派でも気軽に上演されていたりもする。そうした特徴は、今の(米国とは違う)日本のアニメ界やマンガ界にも通じるものを感じる。
能が芸能としてそれらに見劣りしてしまうのは、現在の担い手である1000人強の能楽師たちの集まりが「個人」を主体としたものであり、スポンサーとなる組織を持っていない点にもよる。能は、為政者におもねった作品を作ったり、宗教色を帯びさせたりといったことを行ってこなかったストイックさゆえに、お金や人を巻き込むことができなかったのではないか、とも思われる。
かたや歌舞伎は江戸時代におけるサブカルである。歌舞伎は「 傾く」というアンチカルチャーから始まり、日本全国を転々とする半分娼婦のような遊女たちが阿国歌舞伎として流行らせたところから始まっている(白拍子なども同じような系統と言われる)。しかしあまりにも煽情的だとして禁止され、今度は美少年たちによって行われた若衆歌舞伎もまた同じ理由で禁止され、男が女役を演じる野郎歌舞伎へと変化を続けてきた。 1980年代ごろにはスーパー歌舞伎として西遊記や中国の古典を取り入れた演目が披露され、果ては「ワンピース歌舞伎」「初音ミク歌舞伎」といった時代に寄り添ったテーマへの適応力たるや、見事なものである。
1866年、 18 人で海外へ旅立った東北の寒村出身の高野広八一座が、日本の民間人初のパスポート取得者である。彼らは今でいうサーカスの一座だった。
日本のサーカス一座は綱渡りやブランコ、水芸などを演目にしていた。当時米国で流行していたサーカスは動物や奇人変人を使った「見世物」であっ










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