経営者に限らず今日の多くのリーダーが議論に深入りしようとせず、思想や価値観や政治に関して発言したがらないのは、公の空間で叩かれたくないからだ。彼らの多くは、信念や信条それ自体が悪であり、(自分以外の) 何物も信じないことが成功の早道だと教えられてきたし、自分たちもそう教えてきた。その結果、政府、産業界、学術界など公の場で重要な決定を下す責任を担う人が、自らの信念に確信を持てない文化ができあがった。それどころか、そもそも信念と言えるものを持っているのかどうかさえあやしい。
シリコンバレーの創業者世代は、美辞麗句で飾りたてた崇高で野心的な目的を掲げはしても、本心は隠している。彼らがのべつ口にする「世界を変える」といったフレーズは、もはや使い古されて空疎になった。にもかかわらず巨額の資本を調達し、優秀な技術者を大量に呼び込むことに成功している。集めた貴重なリソースが何に使われるのかと言えば、写真共有やチャットなどちょっとしたアプリを開発するためだ。国家的事業や国家的野心といったものへの疑念がシリコンバレーに深く根を下ろし、二〇世紀前半に大規模に行われた官民共同の実験はもはや見向きもされない。個人の欲望やニーズを満たす狭い領域に関心が集中している。次々に誕生するスタートアップが技術の膨大な可能性のほんの一部を使って末期的資本主義文化の気まぐれに応えるだけで、市場は潤沢に報いてくれる。だから、国家の最も重要な課題に取り組むための基幹技術の構築にはとんと関心がない。かくしてソーシャルメディア・プラットフォームとデリバリー・アプリの時代がやってきた。医療や教育や国防分野にブレークスルーが出現するのはいつのことだろうか。
本書では、ハイテク産業には自分たちを育てた国に力を貸す義務があるということを訴えたい。ハイテク産業とくにソフトウェア産業は公共の利益に寄与することをもっと考え、国との信頼関係を再構築すべきだ。そしてもっと大きな視野から、技術に何ができるか、何を実現すべきかを構想してほしい。一方、政府には国民に福祉と安全保障を提供する責務があり、それを引き続き果たすためには、民間から、とくにシリコンバレーから力を借りる必要がある。シリコンバレーには、結果にこだわり派手なパフォーマンスを嫌い、問題の最も近くにいる現場に権限を与え、無駄な神学的論争をせず前に進む特有の組織文化がある。この文化はアメリカの多くの産業を様変わりさせ、人々の生活を一変させるようなイノベーションを生み出してきた。こうした価値観には政府を変える可能性もあると期待する。
現役プログラマー世代は、資本主義文化の求めに応じ、かつ自分も金持ちになるためにキャリアをよろこんで捧げる。だが、何を作るべきか、それは何のためなのか、という根源的な問いを発してみようとはしない。
どうせ君の肺腑から出た事でなくては、人の肺腑に徹するものではない*1。 ──ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ『ファウスト』第一部 夜[森鷗外訳] 武力は交渉力だ。それを利用するのが外交である。悪意のある外交だが外交にはちがいない*2。 ──トーマス・シェリング『軍備と影響力──核兵器と駆け引きの論理』 自由主義者が恐れて立ち入らないところに、原理主義者はずかずかと入り込んでくる*3。 ──マイケル・サンデル『リベラリズムと正義の限界』
欧米あるいは西側陣営あるいは自由主義世界は、最後の審判の時を迎えている。科学と技術の可能性に対して国家は野心も関心も失い、医療、宇宙旅行から軍用ソフトウェアにいたるさまざまな分野で政府主導のイノベーションが衰退し、非自由主義世界との間にイノベーション格差が生じている。原子爆弾やインターネットを生み出したような大規模なブレークスルーの探求から政府は手を引き、革新的な技術の開発を民間部門に委ねた。
だがシリコンバレーは内向きになり、国民の安全や福祉に関わるような大規模なプロジェクトに背を向け、ごく限られた分野の消費者製品の開発にエネルギーを注ぎ込んだ。










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