彼らにとっては、係長より課長、課長よりは部長と、より上のポジションにいる人を検挙するほうが手柄になります。
実際の調書の作り方はまったく違います。検察官は、自分たちが作ったストーリーに沿った供述を被疑者から引き出すことに全力を尽くします。
「検察が世間に伝えたい情報」とは、自分たちにとって有利な情報、世論を味方に付けるために有効な情報です。それが大々的に報じられれば、検察の見立てに沿った事件のストーリーが世間に浸透していき、事件を見る市民の目はどうしても曇ってしまいます。
検察官は、家宅捜索などで押収した証拠を山ほど持っていて、それらを全部見ています。その中から、〝検察官ストーリー〟に沿う有罪方向の証拠だけを開示し、裁判所に証拠調べを申請します。
検察は、こうした記者会見を「罪証隠滅の指令」だと位置付けます。
公判が始まる前、信岡弁護士から、無罪を取るには六つの条件があると大阪の弁護士の間では言われていると教えてもらいました。それは、「①タマが良い、②筋が良い、③弁護人が優秀、④裁判官が良い、⑤検察官が無能、⑥運が良い」。
大阪の裁判所は東京に比べて、捜査機関に対して厳しい目を持っていること。
日本の刑事裁判では、いつのまにかこの原則が逆転し、起訴された人に無罪を証明する責任が転嫁され、それを完全に証明しきれない限りは無罪になれない
自らの 無謬 性 を信じたい検察官や裁判官は、自分たちに不利となる可能性のある事実をどこかで「見ないようにしてしまう」傾向があります。
裁判官も、本来なら「そもそも被告人は無実ではないか」と疑ってかかるべきなのに、「日本の警察や検察は優秀だから、ちゃんと捜査をしているはずだ」という前提や、「起訴したら九九・九%有罪」という数字の呪縛によって、「目の前にいる被告人は、よほどのことがない限り有罪だ」という思い込みに無意識のうちに支配されているのではないか、と思わせる例が、残念ながら、散見されます。
Import your Kindle highlights to review, organize, and share the ideas that matter most to you.
Get the free browser extension