序章 なぜアントレプレナーシップの歴史を学ぶのか? 現代社会において「アントレプレナーシップ」という言葉を耳にする機会はますます増えている。アントレプレナーシップとは本来、ビジネス活動にかかわる概念であるが、現在では、政府の政策決定や教育の場においても頻繁に登場するキーワードとなっている。
本書は、アントレプレナーシップの概念を歴史的に検討し、その思想的背景から意義を明らかにすることを目的とする。こうした視点によって、アントレプレナーシップが秘める可能性や、よりよい経済社会への示唆が得られると考えるからである。本書では、経済学史の観点からアントレプレナーシップを論じる。経済学史とは、経済学がどのように成立し、いかなる過程を経て現代に至ったのかを解明する分野
アントレプレナーシップとは何か? ──ドラッカーの定義 「アントレプレナーシップ」は、英語のentrepreneurshipをカタカナで表記したものである。これは、「企業家」を意味する entrepreneur と、「性質、地位、能力、集団」などを意味する接尾語 ship から成る言葉である。entrepreneurshipは以前、「企業家精神」と訳されることが多かったが、実際にはアントレプレナーの「精神」だけを指しているわけではない。
現代経営学の礎を築いたドラッカー(Peter Ferdinand Drucker, 1909–2005) の著作『イノベーションとアントレプレナーシップ( 1)( Innovation and Entrepreneurship)』(一九八五) は、現代のアントレプレナーシップ論の古典の一つである。ドラッカー自身、それがアントレプレナーシップの全貌を体系的に論じた最初の著作であると考えていた( 2)。
ドラッカーはアントレプレナーを、リスクを冒す者と定義する。経済活動の本質は「現在の資源を将来の期待のために使うこと、すなわち不確実性とリスクにある( 3)」ため、経済活動にかかわる者は誰でもリスクを冒すことになるのである。ドラッカーは、アントレプレナーシップが「気質ではなく行動」であり、アントレプレナーの行動は「勘ではなく、原理であり、方法である( 4)」ことを指摘
シュンペーターは、アントレプレナーシップ論の古典『経済発展の理論』(初版一九一二) を出版した経済学者である。彼は、天才的なひらめきや強靱な精神力を持つ者だけがアントレプレナーになることができると主張していた。さらには、イノベーションの担い手であるアントレプレナーの行動原理が、経済学が前提とする合理的な経済行動とは異なることを指摘
それでは今、経済学に立ち帰ってアントレプレナーシップの歴史を考察する意味は何であろうか? ドラッカーは、アントレプレナーシップという言葉が「経済の世界で生まれはしたものの、経済の領域に限定されるものではない。人間の実存に関わる活動を除くあらゆる人間活動に適用される( 7)」ことを指摘している。本書のアプローチは、この考え方から大きな影響を受けている。
ドラッカーは、アントレプレナーシップの原理が「変化を当然のこと、健全なこととすること」「すでに行っていることをより上手に行うことよりも、まったく新しいことを行うことに価値を見出すこと( 8)」にあると考える。そこには経営上の挑戦だけでなく、新しい社会秩序への模索という、より広い観点が含まれていることに注目すべきである。
イノベーションと政府の役割 二十一世紀の経済社会においてアントレプレナーシップは、発展を支えるエンジンとして広く世界中で認識されている( 10)。それは、アントレプレナーが担うイノベーションこそが経済発展の要因であると主張した、シュンペーターの考え方が出発点となっている。
アントレプレナーは育成できるのか? シュンペーターは、アントレプレナーの育成方法について一切語ることはなかった。彼の考えるイノベーションを実行する能力は、天才的な一部の人間に帰せられていて、多くの一般人がどのようにすればそれらの能力を習得できるのかという視点は、シュンペーターにはなかった。
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