序章 人間の本質とは 人間を人間たらしめているものは何だろうか? 我々は自分たちのことを、他のあらゆる動物と一線を画す特別でユニークな存在だと考えたがる。人間のことを「動物」と呼ぶだけで気を悪くする人もいまだにいるかもしれないが、本書ではそうするつもりだ。生物学的に見て、ヒトを動物と呼ばないのは馬鹿馬鹿しいからに他ならない。
身体に関して言えば、人間の身体にはやや風変わりなところがあるものの、他の類人猿と根本的に異なるというほどではない。昔の思想家たちは人間に特有の身体部位を発見しようと試みてきたが、そうした主張はいずれも精査に耐えるものではなかった。つまり、人間に特有の何かがあるとしても、それは身体には見つからないのだ。
他方では、「道徳性」「勇気」「意識」「知性」「感情」「性格」「共感」「愛」「信心」などが、人間だけがもつ資質ではないかと考えられてきた。しかしこれらのいずれも、真に人間に特有のものと言えるかは怪しい。何かが人間に特有であると主張するためには、まず人間が明白にそれを備えていることを示し、次に他の動物には疑う余地なくその性質が欠けていることを示さなければならない。
「我々」と「他者」を隔てるものとしての言語 我々が見下すのは他の動物だけではない。二つの人間集団が出会えば、すぐにお互いを劣った存在とみなすようになる。「我々」対「他者」は、その心地よさゆえに人がすぐに飛びついてしまうお決まりの構図で、太古の昔から繰り返されてきた。2000年前、ローマ人は異民族たるゲルマン人を下に見ていたが、一方でゲルマン人の部族がひ弱なローマ人を二流の存在とみなしていたことも疑う余地がない。
ローマ人が、そしてその前にはギリシャ人が、異民族のことを「バーバリアン」と呼んだのは、ギリシャ・ローマの感覚からすると異民族の言葉がまともな言語には聞こえず、むしろ「バルバルバルバル」という不可解な音に感じられたからである。言語こそが、文明化した「我々」と野蛮な「他者」を隔てるものであったのだ。
このように言語は聖書の中で重要な役割を担っており、アダムの例からもわかるように、人間の特質として真っ先に強調されている。動物たちに名前を与えるのは人間であり、動物が人間に名前を付けるのではない。そして今日においても、言語は、人間を他の動物と明確に隔てる数少ない特質のひとつとなっている。言語こそが、人間を人間たらしめる鍵なのかもしれない。
言語の起源をめぐる哲学 哲学の歴史を振り返ると、その中心には常に「言語とはいかなるものか」という問いがあった。 紀元前4世紀には、ギリシャの大哲学者アリストテレスが、人間と動物を隔てる決定的な要素として言語に光を当てた。その1世代後、エピクロスは言語の起源に関する最古の理論とされるものを打ち出した。彼の見解では、人が、経験したさまざまな事象に対してもともと生まれもった反応をすることこそが言語の始まり
その2000年後、啓蒙思想家たちの中に、言語の起源という問題にあらためて関心を示す者たちが現れた。1710年には、ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(一般的には、数学に関する発見でよく知られている) が、「ニャー」や「カッコー」といった擬音語に言語の起源があるのではないかという説を発表した。こうした擬音語の多くは、今でも我々の語彙の一部を成している。
フランスの哲学者エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤックは、1746年に刊行された『人間認識起源論( Essai sur l’ origine des connaissances humaines)』の中で、言語は身振り手振りに起源をもっており、それらが洗練されたものが手話ではないかという説を提唱した。1765年にはスコットランドの哲学者トマス・リードも同様の見解を表明
言語の起源という問題に取り組んだ 18 世紀の思想家としては、ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーもいる。当時ドイツという国は存在せず、彼が生まれたモロンクは現在ではポーランドの一部となっているものの、彼のことはドイツ人と呼ぶほかないだろう。ヘルダーはゲーテの友人で、ドイツ・ナショナリズムの発展、そしてあらゆるゲルマン的なものに対する誇りの醸成に貢献した
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