本書は、現代思想とは何かを、難解な専門用語の羅列ではなく、「単純化しすぎずに現実を考えるための技法」として整理した入門書です。読者のハイライトが最も集中しているのは、現代思想の中核をなす二項対立の脱構築、差異への注目、そして秩序からこぼれ落ちるものの価値です。
著者はまず、現代思想の基本姿勢を、善悪・正常異常・自然文化のような対立で世界を裁断することをいったん留保し、そこにあるグレーゾーンや揺らぎを見ることだと説明します。現実には、能動と受動、秩序と逸脱、同一性と差異はきっぱり分かれず、むしろその絡み合いにこそ人生のリアリティがある、という立場です。
本書の軸は次の三人です。
さらに本書は、現代思想を単なる相対主義としてではなく、他者への配慮の倫理として読み直します。決断は常に偏りを含むが、そのとき切り捨てた他者への「未練」を忘れないことが大切だ、という見方が印象的です。秩序を全面否定するのではなく、仮の秩序を保ちながらも、それに回収されない差異や他者性を見失わない。このバランス感覚こそ、本書が示す現代思想の実践的な魅力です。
現代思想は、秩序を強化する動きへの警戒心を持ち、秩序からズレるもの、すなわち「差異」に注目する。 それが今、人生の多様性を守るために必要だと思うのです。 人間は歴史的に、社会および自分自身を秩序化し、ノイズを排除して、純粋で正しいものを目指していくという道を歩んできました。そのなかで、 二〇世紀の思想の特徴は、排除される余計なものをクリエイティブなものとして肯定したこと
Highlighted by 11 people
構築とはどういうものかは第一章で説明しますが、ここで簡単に言っておくなら、 物事を「二項対立」、つまり「二つの概念の対立」によって捉えて、良し悪しを言おうとするのを いったん留保する ということです。 とにかく我々は物事を対立で捉えざるをえません。善と悪、安心と不安、健康と不健康、本質的なものと非本質的なもの(どうでもいいもの)……などなど。私たちが何かを決めるときは、何か二項対立を当てはめ、その「良い」方を選ぼうとするものです。 とはいえ、善と悪という対立で善を選ぶ、健康と不健康の対立で健康を選ぶのは当たり前だと思うかもしれません。これらはプラス/マイナスが常識的に明らかな対立ですが、もっと 曖昧 なものもあります。自然と文化、身体と精神のような二項対立は、どちらがプラスとも決められないでしょう。ですが、しばしば、どちらかに優位性を与える価値観が主張され
Highlighted by 11 people
本書では、 デリダは「概念の脱構築」、ドゥルーズは「存在の脱構築」、フーコーは「社会の脱構築」 という分担で説明します。
Highlighted by 10 people
このように、 能動性と受動性が互いを押し合いへし合いしながら、絡み合いながら展開されるグレーゾーンがあって、そこにこそ人生のリアリティがある。
Highlighted by 9 people
現代思想を学ぶと、 複雑なことを単純化しないで考えられる ようになります。 単純化できない現実の難しさを、以前より「高い解像度」で捉えられるようになる でしょう。 ──と言うと、「いや、複雑なことを単純化できるのが知性なんじゃないのか?」とツッコミが入るかもしれません。ですが、それに対しては、「世の中には、単純化したら台無しになってしまうリアリティがあり、それを尊重する必要がある」という価値観あるいは倫理を、まず提示しておきたいと思います。
Highlighted by 8 people
脱構築の手続きは次のように進みます。 ①まず、二項対立において一方をマイナスとしている暗黙の価値観を疑い、むしろマイナスの側に味方するような別の論理を考える。 しかし、ただ逆転させるわけではありません。 ②対立する項が相互に依存し、どちらが主導権をとるのでもない、勝ち負けが留保された状態を描き出す。 ③そのときに、プラスでもマイナスでもあるような、二項対立の「決定不可能性」を担うような、第三の概念を使うこともある。 デリダにおいて有名なのは、先に紹介した「プラトンのパルマケイアー」に出てくる、「パルマコン」というものです。これは古代ギリシア語で、「薬」でもあり「毒」でもあるという両義性を持っています。実際、薬というのは使い方によっては毒にもなりますよね。ここから、二項対立を脱構築する第三項を「パルマコン的なもの」と呼ぶことができます。文学の脱構築的な読み方では、作品中のある要素が、物語における大きな二項対立(善なのか悪なのかといった) のどちらか一方に属するのではなくパルマコン的なものとして機能している、という読みをするのが定番です。ちょっとだけ引用しますが、デリダは、プラトンの『パイドロス』におけるパルマコンという語の両義性に注目することで、テクストの論理を脱構築していきます。
Highlighted by 8 people · 1 left notes
一切の波立ちのない、透明で安定したものとして自己や世界を捉えるのではなく、炭酸で、泡立ち、ノイジーで、しかしある種の音楽的な魅力も持っているような、ざわめく世界として世界を捉えるのがデリダのビジョンである と言えると思います(
Highlighted by 7 people
まずは、 同一性よりも差異の方が先だ、という考え方。重要なのは、大きな二項対立として同一性/差異という対立があることです。これに関する部分を、主著『差異と反復』から引用してみましょう。
Highlighted by 7 people
彼らの思想は、「そもそも人間は何も言われなくたってまず行動しますよね」というのを暗黙の前提にしているのだと捉えた方がよいと思います。 人間は生きていく以上、広い意味で暴力的であらざるをえないし、純粋に非暴力的に生きることは不可能であるということは、言わずもがなの前提なのです。だからこそ、ここが誤解を招くところだと思うのですが、この言わずもがなの前提の上で、そこにいかに他者の倫理を織り込んでいくかということが問題になっているのです。 しかもその織り込みにも限度がある。何かひとつイベントを企画するとして、誰もが満足して何も批判されないようなものなんてたぶんできないでしょう。時間的にも物資的にも制約があって、有限なわけですから。にもかかわらず、できるだけのことは考えるし、もし批判があったらそれはそれで対応する。 ですからもうひとつのポイントは、この立場から言うと、人が何かを決断したり行ったりしているとき、こういう他者への配慮が足りないという批判を起こすことはつねに可能だということです。その意味で言うと、言葉は悪いですが、ひとつの決断をデリダ的・レヴィナス的観点から「潰そう」とすることはいつでも任意に可能なんです。 逆に言うと、人が何らかの決断をせざるをえないということは「赦す」しかないのです。決断の許諾とそれが排除しているものへの批判は、仕事をし、社会を動かしていかざるをえないという現実性においてバランスを考えるしかない。そしてそのバランスをどうするかに原理的な解決法はないのです。ケース・バイ・ケースで考えるしかない。 人は決断せざるをえません。先のツイートのケースでは、「大人は責任をもって決断するのだ」ということがある種の強さのように言われていました。それを言うなら、 未練込…
Highlighted by 7 people
とくにデリダのテーマなのですが、三人に共通することとして言えるのは「二項対立の脱構築」だと思います。
Highlighted by 6 people
Glasp上の21件の読者ハイライトを分析すると、本書は要点の明快さと引用したくなる定義の強さで高く支持されています。とくに「二項対立の脱構築」「差異」「仮固定」「未練としての他者配慮」といった説明が、入門書として強い共感を集めました。
Glasp AI analysis based on highlights from 21 readers.
現代思想を初めて学ぶ学生、哲学や社会思想を体系的に掴みたい読者、デリダ・ドゥルーズ・フーコーの違いを一冊で整理したい人に向いています。とくに、SNS時代の分断、アイデンティティ、正常/異常、自己啓発、管理社会への違和感を言語化したい人に相性がよいです。専門知識は必須ではありませんが、抽象的な議論を楽しめる人ほど刺さります。
Import your Kindle highlights to review, organize, and share the ideas that matter most to you.
Get the free browser extension