こうした借り手と貸し手の間の情報の偏りを、経済学では「情報の非対称性」と呼ぶ。前章で取り上げた素人高利貸は、自身がよく知る友人や同僚に金を貸し付けることで、情報の非対称性を小さくしようとしていた。素人高利貸に限らず、効率的に信用審査を実施し、情報の非対称性を最小化することは、金融取引を安定的に継続する上で死活的に重要な金融技術の一つである。 この点、団地金融では、顧客が団地族であるという事実が、有力な情報を提供してくれた。厳しい団地の入居審査をパスするほどの収入があれば、借金を返せなくなる可能性は低い。社宅の場合は、入居者の勤務先まで自動的に判明するので、さらに情報の非対称性は小さくなる。居住形態というノーコストで手に入る情報が、顧客の全信用情報を織り込んでいると判断し、大胆に金を貸し付ける。団地金融は、当時としては革新的と言ってよいほど簡便な審査方法を導入し、知人ネットワークの外側にいる人びとに安全に金を貸す道を切り開いた。現実の人的関係の有無に制約された素人高利貸の限界を、団地金融は見事に突破したのである。
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サラリーマン金融の店舗は、基本的には繁華街に置かれたため、顧客が自ら店頭へ融資を申し込みに来た。「現金の出前」を行う団地金融は、店舗を構えるサラ金と比較すれば、どうしても人件費や車両費などのコストが高くなる難点を抱えていた。 総じて団地金融は、安定的な独自収入を持たない団地の主婦を顧客としていたために、融資相手の居宅に足を運んで生活ぶりを観察し、返済可能性を見極めねばならなかった。夫に秘密を抱える主婦への高リスクの貸付が、「現金の出前」という高コストの融資手法を要求したのである。結局、団地金融は高リスク・高コスト体質から脱却しきれず、姿を消すことになる。
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ただし、能力主義といっても、社員の能力を客観的に測定する方法が確立していたわけではない。この頃の人事評価は、直接的な数値では表現できない「情意考課」を採用していた。 市原(二〇〇一) によれば、一九六〇年代半ば以降、企業による社員の能力評価は潜在的能力に重点が置かれたため、人事考課は具体的な職業的能力を離れ、「人間評価」を内容とするものになっていた。当時の人事査定は、仕事実績の算定だけでなく、能力と態度・性格の判定を経て、ともすれば全人格的な評価に及んだのである(熊沢一九八九)。
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いずれか一方が相手に内緒で借金をしたのでは健全な家計の維持は難しい」との考えから、「夫婦間のトラブルをなくし、健全なローンを目的として」開発されたものだった。利率は年利七三%で、同時期のアコムの一般的なローン(年利九一・二五%) より割安に設定された。夫と相談の上であれば、専業主婦にもサラ金を利用する道が開かれたので
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ポケットティッシュの配布だった。 かつてのサラ金の販促品といえば、マッチが主流だった。たとえば、プロミスは、一九六六年にマージャンの東南西北をあしらった四種類の宣伝用マッチを配布し、四種類をすべて集めて店舗に持ち込めば二〇〇〇円を進呈するというキャンペーンを打っている(図4‐5)。当時の雀荘にタバコとマッチはつきものだったから、マージャン好きの男性にアピールしようという意図は明らかだろう。
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第一に、優生結婚資金貸付である。これは、国家総動員法と国民優生法(一九四〇年五月制定) に呼応して人的資源の確保・育成への寄与を目的とし、結婚資金三〇〇円以内を貸し付けるものだった。申し込みは厚生省優生結婚相談所または保健所で受け付け、国民優生連盟による審査に合格することが貸付の条件だった。出産があった場合には少額の祝い金も支給されたという。少子化は兵力・戦力の低下に直結するから、戦時期には金融的な裏付けを持つ結婚・出産奨励が行われており、庶民金庫はその一環に組み込まれていた。
田辺は、あらゆる機会を捉えて利殖に励んだ。結婚の際には、勤務先の会社から結婚資金を無利子で借り入れている。もちろん派手な結婚式を挙げるためではない。近所の洋服屋に又貸しし、利息を稼ぎ出したのである。
一家の稼ぎ主も承知の上で金を借りるほどに困窮していれば、返済に不安が残る。夫に内緒のやりくりで主婦が返済できる程度の少額の資金需要に応じるというのが、田辺の方針だった。
普通なら、貸金業や金融業全般を恨み、嫌悪してもおかしくない。しかし、浜田は父から厳しく借金を取り立てる業者を見て、「貸金業は遅れている」と感じた。もっとスマートにやれば、もっと稼げるはずだ。自分は「人を活かす金貸し」になろ
戦前からの老舗貸金業者である山下商事の山下清は、客の勤めている会社にストライキが起こると、しばしば一升ビンを持って駆けつけたと語っている。組合の集会では、組合員といっしょに労働歌を歌い、「給料が出ないときは、ウチで立て替えます。最後まで戦い抜きましょう」と激励演説をぶって、万雷の拍手を浴びたという。「この宣伝は実に効果的ですよ。ゴソッと借りにきますから…」(前掲『週刊読売』二一巻五号)。冗談のようだが、サラ金にとって企業社会に食い込むことがいかに重要だったかを示すエピソードである。
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