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信仰をもたない人間、マジで死の手前で「自分が何を求めているのか」わからず醜態をさらします。男は死ぬまでチンポのサイズに悩みます。悲惨です。 「自分自身の快を追求しなくてはならない、しかしその自分は跡形もなく消えてしまう」ということの矛盾を解決してこなかったツケが衰えた心身に一挙に降り注ぐのです。リアルでみてきた
自分の生きてきた年月と同じ時間を与えられて「しゃべれ」と言われたら、自分が経験してきた全てを話しきることができるだろうか。
やっぱ、「影が動いたのは太陽が動いたから」でいいんじゃないかな
男性的主体って「一方的に受けとる」という関係に慣れてないのが一定数いるんだよな。自分が与えられた場合、プライドの傷つきがあり、相手に下心を読んで卑しめる物語を作ってでも、なんらかの等価交換の説明を捻り出して精神の均衡を保つ。 この歪みに内心では気づく程度の賢さがあり、しかしそれを認めるだけの勇気がないパーソナリティだと、自分の無力にむけた憎悪を世界に転移する負のループに陥る。 これは冗談抜きで普通に大切なことなのだが、クレープとかを子供みたいに楽しんで食べる訓練したらいいと思う
ターナーって嵐の船でマストに4時間縛りつけてもらったってマジか。崇高を描くことへの覚悟がちげぇわ
個人的には、エロマンガ・アニメ・ゲームなどでは、最大限にインモラルな表現が許されるべきだと思ってるんですが(なにせ、現実的な被害者がいないので)。表で言わないようにしてるだけで女性の消費者も結構多い。 そういうものをちゃんと鑑賞して「なぜこういう要素にグッときてしまうのか」をちゃんと自己分析して社会と共存可能なのもにすることを昇華という。芸術家なんて芸術がけりゃ犯罪者になっていたくらいの人間の方が成功する。
憎悪すら失ったら生きていくこともできない人は、そりゃ道徳でもなんでも持ち出して憎悪の再生産をします
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要するに「他人を自分の世界観に従わせたい」って欲望を持っている場合、暴力を用いるのでなければ道徳にすがるしかないのだよな。芸術で洗脳することもできるが。
"死への欲動とは、死を目指す欲動ではない。それは生にも死にも向かわない。この欲動が「死をもたらす」のは、他でもない、それが(生に対して無関心であるように)死に対して無関心であるから、それが死にとり憑かれてはいないからである。" たんに、「生死を超越するほどめちゃ元気」ということ。勢い余ってたまたま死ぬことはあるが、それはそれというだけで、死を目指しているわけじゃない。ここが重要。
たまにシャバい人生論みたいなこと言うけど、「他人の幸福をそこそこ祈ることを基本行動原理にする(まぁお節介すぎない程度に)」って大事なことだと思いますね。 もう少し細かくいうと、人は自分の中に個別の意味のネットワークを持っていて、自分の発した言葉が相手の中で同様の効果を発揮するかはまったく不明である。だから世界に敵意を向け続けるようにネットワーク構築していると、合わない人間はたんに去ってハッピーにやっていき、自分ばかりは外からきたものを「悪い意味」にとり続けることになる。病まないはずがない。 まぁそれはそれとして僕はシュルレアリスト自認なので変な意味にとるゲームをするのが好きなんだけど
子供のときコーラは「虫歯になる」って禁止されてて、あるとき歩道のポールの上に誰かが飲み残しておいたコカコーラの缶がとても魅惑的で彫刻的に見えたときの風景をいま思い出した。場所もだいたい思い出せる。あれ小学一年生あたりかそれ以前の記憶だな。 そんなもの飲んだらばっちいことは充分にわかりつつ、しかし未知のすごい飲み物らしきものが目の前に自分の自由にできる状態で置いてある緊張にしばらく凝視したはずーーさすがに飲まなかったはずだが。 読解するにはコテコテすぎるエピソードだが、これが人生の初めにあるから僕は今こんな奴なのか、それともこんなだから記憶がそのように再編集されたものなのか。
ルサンチマンというのは、いわゆる「酸っぱいブドウ」だけではそれにならない。えらばなかった可能性を過度に理想化しないのは幸福に生きるための条件でもある。 しかし「私は(心の底ではそれを求めているのに)、選ばなかった。なぜなら私は道徳的に正しいからだ」という論理をとると、ルサンチマンになる。重要なのは、道徳は(反道徳という道徳も含めて)そういう構造をもっている、ということ。人類は逆立ちしてもキリスト教的道徳空間から出られない。 ルサンチマンという視点は、所詮はエリートの人格陶冶にしか役立たない気もしてくる。底辺からの社会現象にそれを指摘したところで「だから何?」とは思ってしまう。
『マゾヒストたち』、ほんと良い本だな。初っ端から戦中の疎開先で地元民にほとんど拷問じみたいじめを受けた経験が「きっかけ」になってマゾ人生に入った男性とか出てくるんだけど、マジで幸せそうなんだよ。全ては事後的に意味づけられる。死の瞬間まで誰も生の価値なんて決められない。そういう人間讃歌がある
「怠惰」は悪徳とか簡単にいうけれど、「神の呼びかけを真正面から受け取ってしまった者の存在の震え」とかいう解釈もあるじゃろ。資本主義に従い「勤勉」に天職をこなしとけば救われるなんて、なんとお気楽な世界観だろう。ベッドで日がな一日うめいてる人のほうが信心深い
でもまぁ、ひとつの転機になったのは、乱読多読を意識的にやめたときだな。結局は自分好みの話をかき集めるようになってしまうので。ある特定の思想家にマゾヒスティックに従属してみることのほうが新しい思考が開けると考えるようになった
仕事やめて瞑想施設いってたとき、春だったが、花のあいだを飛ぶ蜜蜂をみて「世界はこんなに完全なのに、人類社会はおかし。すべてがおかしい」と強く思った。普段はその回路をオフにして社会をやっているが、この確信は変わらない
ベタな結論だけど自分自身の根源的な症候と折り合いをつけた人間は品がよく見えるだろう、たぶんね
「私の生を、他者から価値あるものとして眼差される物語に書き込んでくれ」という要請は、ある程度までは正しい。しかし、そのようにして象徴化された生と現実の生のあいだには必ずズレが生じる。いかなる形でも価値を持たず記述できない生の滓のみが手元にのこる。これは「労働可能な身体-能力は極限まで生産的なことに使え」というこの社会の暗黙の要請にどこか似ていないだろうか。
藤田和日郎とか完全にバロック的(反・理性的)な絵だろ。テレビで何かの模写をしていたとき、堂々と比率がぶれてて驚いた。原作者・作画別のマンガでときどきある、デッサン力として上手なのだけどなんとなくエネルギーに欠ける絵とかは、物語の推進力・リビドーを他人に頼っているせいかもしれない、とか考えたりする。漫画家というのは、監督も役者も一人がやる特異な商業だと思う
意識的に反省"しない"、という行為はときに、なんとなく反省してしまうより遥かに倫理的に善い態度を鍛える修養の機会となるようだ。
愛の本質って自分とはまったく別の主体の独立性と不可解さに心を差し出すことだから、やっぱ無生物は愛せないよな
「野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ」(マタイ、第六章)"
おじさん達一般が本当に「エロ広告が好きか」調査してから責任を押し付けてくれ。 女性は化粧やオシャレがそこそこ楽しいかもしれないが、あの手この手でコンプレックスを押しつけてくる広告が好きだろうか。 少し前、auショップでズボンをずり下げマスターベーションをしようとしたおじいさんが捕まっていた。彼は何がしかのエロを見てしまったんじゃないだろうか。老化の我慢できなさを舐めちゃいけない。バチカンのキャラさえエロい世界で、自分はそれにならない自信があるか? こんな社会を普通にして育った世代で、まだ老いを迎えたものはいない。何が起こるか誰もわからない。 僕は、エロ広告がこわい
イタリアあたりの旅番組みてると老爺が三、四人くらい集まって路上で音楽の練習してたりするが、向こうはあれOKなんだろうか。余生はあのようであるべきだと思う。日本だとすぐ警察が飛んでくる
人間にはただ与えることによって自己を確立する回路があり、その道を意地で閉ざすのは良いことがない。
鳥山先生はこの「ああ、悟空ってこういうやつだよな……」ってのをどこまでメタに見ながら描いてたんだろう
無意味で危険なことから禁止され、有意味で安全なことだけ増える社会では、生の無意味さがいっそう際立ち、人々は絶望し、若者がみんなインポテンツになったのでした
この"むき出しの現実への耽美"は、何か具体的な思想を指してそうだと思うのだけど、青山拓央は何を思って章末にこれを差し込んだろう。僕の現状もっているイメージでは、むき出しの現実なんてものは(ひょっとすると最高に楽しいものなのかも知れないが)致死的で非人間的な世界である
ヒューマントラストシネマで映画見たら予告編のとき太田光が出てきて「TBSドキュメンタリー映画祭アンバサダーの太田光です」と言ってたんだけど、この短い台詞の間で2回もカットが挟まっていて、どんな余計なこと言ったんだと思った。
LOVE PHANTOMは一般の音楽的趣味からいうと「ダサい」とい曲と言って間違いないけど、紅白であれが「いらない!何も捨てて仕舞おう!」って登場したときの、あの存在の強度には感激したよね。これが35年芸を磨いてきた迫力かと。
チャットGPTの使用制限については、少し自分で思いつきを結論まで考えてから聞かないと思考力が落ちるから必要な有限性だな。現状、本がいらなくなるなんてことはなく、むしろ独立した主体が1冊の中で主張を取捨選択して書いたという事実がすごい物だな、と思う。2025年以前の本はなんか貴重になるんじゃないかな。
まぁぶっちゃけこういうの、自分の父の話なんだけれども。老いるほどに「怒り」しか存在の方法がなくなっていく。その都度、社会とか政治とか他人の悪がとか理由を作っているけれども、その理屈もどんどん無理筋になっていく。なにせ全てが嘘なのだ。本質は「私がここに在るということを私自身に知らせておくれ」という願いなのだから。談笑して相互承認しあう、人に与え、感謝されることで喜ぶ、という存在の仕方を学ばなかった
厳密性を離れて取り敢えず「言ってみる」ことで発見を目指すタイプの語り手(Xだとこりまさんとかどうそくさんとかだろうか)の話は、読み手がいったん形式的に「感心してみる」ことなしには真価が掴めないと思うんだけど、粗探しと全肯定に偏りがちな空間だと難しい。
僕もいつなんどき他人のラブストーリーに出くわしても不足はないように口笛は吹けるようにしてあ
イタズラや嫌がらせを繰り返す子供ってだいたい親の愛情が不足していて関心の引きかた・愛の得かたがわからないだけなんだが、兵十に死を悲しまれている母親をみて、「兵十にとってのアレになりたい」という欲望が潜在的に生まれたのだとしたら、まったくとんでもねぇヘラぎつねですよね
"「幸福とは何か」という問いへの返答が、人それぞれのものだといった返答を含めて、反発を避けられないのはなぜか。それは、主観的幸福と客観的幸福をただ二分することはできず、その主観性の内には客観性があり、客観性の内には主観性があるからだ。人それぞれと真に言いうるような主観的幸福など初めからなく、私的な利益と真に無縁な客観的幸福というものもない。前者にあえてこだわるとすれば、それは人それぞれであるに留まらず、諸時点それぞれ、諸可能世界それぞれに真に切片化されたものとなり、他との比較をいっさい要さない、むき出しの現実への耽美となる。"
"娯楽という観念は恐らく近代的な観念である。それは機械技術の時代の産物であり、この時代のあらゆる特徴を具えている。娯楽というものは生活を楽しむことを知らなくなった人間がその代りに考え出したものである。それは幸福に対する近代的な代用品である。幸福についてほんとに考えることを知らない近代人は娯楽について考える。" 「娯楽について」三木清
サウナ好きって基本的に男だよね。女湯のサウナは低温だったりすることが多い。これは体質とかだけじゃない精神の構造が関わってると思ってるのだが
もっというと、ごんというか作者および読者は、"たとえ撃たれても、自分の思いが伝わったことで「うれしく」なる"どころか、撃たれることによって兵十が悲しみを味わうのにちょっと興奮する人っすよね。ぜひとも撃たれたい