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NHK「100分de名著」ブックス カント 純粋理性批判 答えの出ない問いはどのように問われるべきか?
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しかし、生きることについて共有しうる知はまったく成り立たないのか、といえば、そうではないかもしれない。
科学だけでは人間が生きていくには足りない。人は「よく生きること」を求めているのだから「よく生きるとはどういうことか」という問いに答えなくてはならない、
商業が発展すると、交易の舞台となる都市には、言葉も文化も考え方も異なる多くの人が集まってきます。多様な価値観と出会うなかで、人々は「自分たちの当たり前」が「世界の当たり前」ではないことに気がつく。こうした異文化接触が、哲学の起点となる問いや活発な議論を生んできました。
私たちの心が物の世界と同じ法則性のなかにあるとしたら、人間に自由意志は存在しないことになります。 そこで、心の世界は物の世界から隔絶して存在すると考えるならば、心の自由を確保することができます。この立場は物心二元論(物と心はまったく別物で隔絶している)と呼ばれますが、「近代哲学の父」と称されるルネ・デカルト(* 18) が代表的です。しかし、そう考えると、心の世界と物の世界とはまったく隔絶してしまうので、互いに影響を与える(相互作用する)こともできなくなる。
何らかの変化には必ずその原因がある、と私たちは当たり前のように信じていますが、これを因果律といいます。この因果律を前提としなければ、科学は成り立ちません。原因と結果、さらには法則を捉えるのが科学の仕事だからです。 しかしヒュームは、因果律は自然世界に備わったものではない、と主張します。たとえば、炎に手を近づけると熱い。そのとき、炎が熱さの原因だと私たちは捉えますが、ヒュームによれば、これは炎と熱とが「くり返し近接して経験される」だけである。それなのに私たちは、両者の間には必然的なつながり(因果関係)があると信じ込むのだ、と。こうして因果律は事物や自然世界そのものに備わっているのではなく、あくまでも人間の習慣的信念にすぎない、ということになります。 因果律に限った話ではありません。ヒューム...
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