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[増補版]神道はなぜ教えがないのか (扶桑社BOOKS)
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世界の宗教を分類する上で、民族宗教と「世界宗教」を区別することが一般的だ。民族宗教は一つの民族に固有の宗教で、神道の他には、ユダヤ教やヒンドゥー教があげられる。 民族宗教には特定の 創唱 者 というものが存在しないが、世界宗教にはそれがいて、その教えが民族の枠を超えて広がっていく。仏教やキリスト教、そしてイスラム教が世界宗教の代表ということになる。
開祖も、宗祖も、教義も、救済もない宗教が神道なのである。
一般の参拝者は、拝殿まで入ることができても、本殿や正殿のなかに足を踏み入れることはできない。もっとも、たとえ本殿や正殿のなかに入っても、直接神の姿を見ることはできない。神の姿を 象った神像なども存在せず、あるのは、神が宿っているとされる鏡や 御幣 などの 依 代 だけである。 神社の境内にあって、 摂社 や 末社 としての扱いを受けている小さな社殿、 小祠 ともなれば、依代ではなく、 神札 だけが祀られていることもある。参拝した際に、いちいちそれを確かめることもできないが、神社の中心には、実質的に何もない。依代はあくまで神が宿るものであり、それ自体が神聖な存在であるわけではない。 ここでも私たちは、「ない」という事態に直面する。それは、神が存在しないということを意味するわけではないが、神...
神道が「ない宗教」であるのに対して、仏教が「ある宗教」だからである。両者の性格に根本的な差異があるからこそ、衝突することなく共存が可能だったのだ。 しかも、その差異が、「ない」と「ある」というところに求められることが大きかった。ただ単に性格が違うというだけでは、そうはならなかったはずだ。「ない」と「ある」では、ぶつかりようがなかったのである。 もし、神道も「ある宗教」として、開祖や宗祖、教義や救済の方法をもっていたとしたら、同じく「ある宗教」としての仏教と激しく対立したであろう。しかも、仏教は、インドや中国の高度な文明を吸収して成立した宗教であり、複雑で体系化されている分、神道を圧倒していたはずだ。となれば、神道は仏教に完全に取り込まれてしまっていたことだろう。 逆に、もし仏教も「ない...
神道には、『古事記』や『日本書紀』といった神話があり、神々や人間が創造される過程を明らかにし、それが世代を超えて受け継がれていくことに強い関心を向けてきた。また、作物の栽培を守護する役割を果たすようになり、人々の日常の生活やその人生の過程に深く関与してきた。 それに対して仏教は、悟りを開いて仏になるということと亡くなって浄土に生まれ変わるということに共通性を見出し、両者をともに「 成仏」としてとらえたことで、人間の死の領域に深く踏み込んでいった。 神道では、死後の世界として黄泉の国の存在が想定されているが、それは生者の世界と地続きで、生の世界と死の世界とのあいだに決定的な断絶はない。ところが、仏教の浄土は、現実と断絶した場であり、理想化されている。 これによって、神道と仏教は、片方が生...
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