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今を生きる思想 ミシェル・フーコー 権力の言いなりにならない生き方 (講談社現代新書100)
www.amazon.co.jp/dp/B0BP2451FL
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ミシェル・フーコー(一九二六─八四) の思想は、一九七〇年代以降の現代思想と批判的社会理論に大きな影響を与えてきた。ある出来事と関わるなかで、私たちの考え方や振る舞いはどう変わっていくのか? そうした変化を促したり、阻んだりしているのは、どのようなシステムなのか? そうしたシステム、他者、そして自己との関わりのなかで、私たちはみずからをどのような主体へと作り上げていくのか? 一九七〇年代後半から八〇年代前半の「後期」と呼ばれる時期を中心にフーコーが展開した思索は、こうした問いかけを通じて自己と社会のいまのありようを吟味し、その新たな姿を構想する手がかりを与えてくれる。
人は権力関係のなかにあって主体になる。ただし、それは主体でないものが主体になって終わりという一回限りのことではない。私たちは主体になるという終わりのないプロセスを生きる。つねに変化のただなかにある 主体化 の作用によって主体は絶えず生み出される。フーコーふうの言い回しを使えば、主体は存在しないがないわけではないのである。
本書は、一九七〇年半ばから一九八〇年代にかけてのフーコーの思想を権力論から統治論への展開として捉える。
第一章では、権力は人びとが語ることを促すことによって動作し、人びとを権力関係のなかに捉えていく、というフーコー権力論の基本的なイメージを示す。キーワードは、封印令状、パノプティコン、規律、生政治である。 第二章では、司牧と統治、自己への配慮がキーワードになる。西洋近代に特徴的な権力のあり方をキリスト教の「導き」の「世俗化」として捉えたことが、フーコーが権力論を「統治」という大きなスケールで展開するようになったきっかけであることを示す。この統治という概念は、古代ギリシア・ローマの「自己への配慮」の問いへとつながり、さらには「自己と他者の統治」という統治論の大きな枠組みをかたちづくるのである。 一九七〇年代後半のフーコーは、西側先進国社会の社会統制のあり方が大きく変わっているという感覚のもと...
権力は人びとの外部に存在し、その挙動を監視するだけではない。人びとの何気ない日常へと浸透し、みずからについて語るよう促す。そしてそこで生み出された「データ」を元にして、人びとをいっそうの管理下に置くのだ。
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