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教養として学んでおきたい現代哲学者10人 (マイナビ新書)
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世紀末のポスト構造主義やポストモダンに対して、非常に強い批判を持っていました。それらは、ある意味、反実在論であり、言語によって世界が理解できるという感覚、言語というひとつの意識や概念という枠組みによって世界が作り出されるという考え方、彼はそれを構築主義と呼ぶのですが、そういった構築主義はそろそろ終わりにしようという雰囲気がずっとあったのです。 例えば、 20 世紀末の構築主義における最たるものが〝文化相対主義〟です。これは、文化が違えば理解が違うという考え方なのですが、そうなると、何が正しいのかを決める方法がわからなくなるのです。文化の違い、概念の違い、物の見方の違いがあったとき、相対主義の下では、何が正しいかを決定することができません。
彼は、ポストモダンのような、概念や言語に基づいて世界を理解する、つまり、広い意味での観念に基づいて世界を理解するという、いわゆる〝観念論〟に対して、反観念論という形での実在論、〝新実在論〟というスタイルを打ち出しました。
例えば、「ユニコーンは存在するか?」という問いに対して、「存在する」と「存在しない」の二つの答えが考えられます。つまり、神話の中には「存在する」し、物理的な領域には「存在しない」わけです。つまり、存在するかしないかを語る場合、必ずどういう領域の話なのか、つまり〝意味領域〟という限定を加える必要があるというわけです。「Xが存在する」というのは、彼の表現を使うと、「XはYという意味領域において存在する」ということになります。 そうなると、例えば〝空想の中に存在する〟とか〝夢の中で存在する〟と言ってしまえば、すべての物が存在すると言えるわけです。つまり、彼が言わんとしているのは、「すべては存在する」ということなのです。ユニコーンのような空想の産物も、進化などの抽象概念も、意味の場を設定することによ...
一般的に〝実在論〟と言うと、目の前に存在する物から私たちが何かを理解する場合、私たちの認識より以前に客観的な物が存在するというイメージです。それに対するマルクス・ガブリエルの考え方は、例えば富士山の場合、富士山そのものに加えて、静岡から見る富士山、山梨から見る富士山、あるいは東京から見る富士山といった感じで、様々な見え方があるわけです。そうなると、どの富士山が存在するのですかという問いに対して、静岡から見た富士山も存在するし、山梨からの富士山も、東京からの富士山も、さらに言えば、どの地点から見られたものでもない富士山も存在する、となるのです。
これはつまり、自然科学の考え方だけを存在するとするのはまずいという考え方でもあります。いろいろな観点が可能なのに、自然科学的な物だけが存在すると考える。これが、 20 世紀のもう一つの考え方である〝物理学主義〟や〝自然科学主義〟、哲学的には〝自然主義〟と呼ばれるもので、この考え方に基づくと、世界よりも宇宙が大きいという発想になります。実際、私たちは、自然科学的な物だけを信じ、それ以外の物は存在しないと考え、空想は空想と切り捨てがちです。 それに対してマルクス・ガブリエルは、空想は空想として存在するのであり、物理学的に存在しないから、どんな意味でも存在しないとは言えないと考えます。『なぜ世界は存在しないのか』において、彼が最も言いたいことは、存在するかどうかを、自然科学的な世界、観点だけに限定...
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