Home
My Highlights
Discover
Sign up
Read on Amazon
攘夷の幕末史 (講談社学術文庫)
www.amazon.co.jp/dp/B09X57BGDY
Import Your Kindle Highlights to Glasp Today 📚
Top Highlights
そもそも、「尊王攘夷」という歴史用語であるが、尊王は天皇(朝廷) を尊ぶという思想であり、攘夷は 夷狄(外国) を打ち払うという対外政略である。その二つの異なる概念が、合体している。また、「公武合体」は朝廷と幕府を融和して、国内を安定させようとする政体論である。つまり、〈尊王〉〈攘夷〉〈公武合体〉は対立する概念ではないのだ。
攘夷とは、幕末史を貫く対外思想・認識であり、また対外政策であるが、その解釈や方法、実行の時期をめぐってさまざまな政争がくりひろげられている。つまり、対立の構図は尊王攘夷 公武合体ではなく、攘夷そのものの考え方の違いに他ならなかった。我が国は攘夷の解釈をめぐって、内乱寸前に追い込まれたのだ。特に、幕末がもっとも幕末的であった文久期の約三年間は、過激な攘夷思想が尊王思想と結びつき、京都や西日本を中心に、尊王攘夷の嵐が吹き荒れていた。まさに、幕末=攘夷なのだ。 しかも、その幕末は、攘夷をスローガンとする若い志士たちの時代でもある。日本中が攘夷熱にうかされるなかで、日本のために命を 賭してまで、攘夷実行に消極的な幕府と対決する若者たちに、後世の私たちは憧れ、感情移入をくりかえしていることは否定でき...
馬のもっとも有名な言葉は、「日本を今一度せんたく(洗濯) いたし申し候」ではなかろうか。これは文久三年六月二十九日に書かれた姉・乙女宛の手紙の一節である。薩長同盟の立役者とされ、明治維新を導いたと描かれる革命家・龍馬の面目躍如 たる名台詞であり、 颯爽 とした龍馬像と結びつき、まさに金言として受け入れられている。
実際には、龍馬は孤軍奮闘して攘夷実行に 邁進 する長州藩に敬意を払い、また、敵艦の逆襲を受けている状況に同情を寄せていた。そんな事態を傍観し、よりによって外国と内通して船の修理までおこない、長州を砲撃させていた幕閣(これは龍馬の誤解であったが) に対する怒りの言葉が、この言葉なのだ。 じつはその金言の前に、「右申所の 姦吏 を一事に 軍 いたし打殺」とある。龍馬の「洗濯」とは、攘夷を実行せず、こともあろうに異人に内通する姦吏(=幕閣) を一掃するということだった。つまり、龍馬もまた攘夷主義者であり、その感情は終生変わっていないのだ。当時の日本人は、我が国は世界の中心で、あらゆる面で一番でなければならないと考えており、また、それが常態であるとの認識がある。その思想の表層的な現象が、まさに攘夷...
内乱に発展しかねない、まさにそのきっかけは井伊直弼が勅許を得ずに締結した通商条約にあった。一見、攘夷を放棄したかに見えるこの施策は、いままで、公武合体派(=開国派) によってなされたもので、現代的な平和主義路線の延長線上で捉えられてきたが、はたしてそうであろうか。 当時は攘夷の解釈によって、国内は二分されたが、その主たる対立軸は、通商条約の是非にあり、それぞれの主張は、「大攘夷」と「小攘夷」であった。そもそも、その言葉自体は当時から使用されており、 津和野 藩士の国学者である 大国隆正 が『新真公法論』(慶応三年・一八六七) のなかで用いた造語である。 大国は 平田篤胤 に国学、 昌平坂学問所で 古賀精里 に儒学を学び、長崎に遊学して洋学も修めた。その後、上方で 報 本 学舎を開いて門人...
Share This Book 📚
Ready to highlight and find good content?
Glasp is a social web highlighter that people can highlight and organize quotes and thoughts from the web, and access other like-minded people’s learning.
Start Highlighting