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NHK「100分de名著」ブックス サルトル 実存主義とは何か
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第一の定式が、「実存は本質に先立つ」。 第二の定式は、「人間は自由の刑に処せられている」。
「実存」というのは、この世界に現実に存在するということ。他方「本質」とは、目には見えないもので、物の場合ならば、その物の性質の総体、要するに、どんな素材であるのか、それはどのようにつくられるのか、何のために使われるのか、といったことの総体です。 ここで例に挙げられているのは、ペーパーナイフです。その製造法や用途を知らずに、ペーパーナイフという物をつくることはできない。ペーパーナイフとはどういうものかを、あらかじめ職人は知っている。だから職人はその本質を心得ながら、ペーパーナイフという実際の存在、実存をつくる。つまりこの場合には、「本質が実存に先立つ」わけです。それはペーパーナイフに限らず、書物でも、机でも、家でも、みな同じです。 では、人間の場合はどうか。もちろん神が存在して、神が人間を...
「主体性」や「投企」という概念、そこから何かを「選択」する「自由」という概念、あるいは自分で選ぶということに伴う「責任」、そのことへの「不安」、また自分ひとりで決めることの「孤独」と、一連の概念がつながって、そこに実存主義という考え方の基本的図式が浮かび上がってきます。
です。 サルトルは、キルケゴール(* 16) の『おそれとおののき』(* 17)(一八四三年) という本に言及して「アブラハム(* 18) の不安」という問題を考えています。ある日天使がアブラハムのところに現れて、「 汝 はアブラハムなり。汝の息子を犠牲とせよ」というお告げをする。アブラハムは迷います。「はたしてあそこに現れたのはほんとうに天使なのだろうか」「アブラハムというのは、たしかに私のことなのだろうか」──。しかし、アブラハムは決めなければいけない。そして彼は、お告げは天使の声であり、自分はたしかにアブラハムであると決めて、息子イサクを 生け贄 にすると決断する。自分で主体的に選択をするときの責任や不安、この「アブラハムの不安」のうちにサルトルはキリスト教的実存主義の原点を見るので...
父親が早くに死んだことを自分の幸運の一つに数えている。父親の権威や抑圧を知らずに自由に育ったということで、「父なき子」である自分はすなわち誰の子でもない、という意識を彼に与えたのかもしれません。
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