Home
My Highlights
Discover
Sign up
Read on Amazon
現代思想2020年6月号 特集=汎心論――21世紀の心の哲学 (Japanese Edition)
www.amazon.com/dp/B0895D95ZL
Import Your Kindle Highlights to Glasp Today 📚
Top Highlights
結局のところ精神は物質からどうやって出てくるかというと、創発という説明不能な非合理的ジャンプによって生まれたと最終的に言わなくてはいけなくなってしまう。こんな非合理な選択肢を取るのであれば、むしろ最初からあらゆる物質のなかに原初的な形態の精神が含まれていると見做すべきだ。こうした仕方で、汎心論を導入していきます。ここからさらに、汎心論につきまとう問題として「結合問題」(combination problem) が提示されます。
しかし、初めにただ一つ範型となるものがあって、それと似たものが……、と考えるのは実はちょっと変な話です。範型となるものは一つしかないので、それが 何であるかは実はわかりませんし、それだから当然、それに 似た ものとはどういうものなのかも、決してわかりません。それに似たそれ以外のものなんて見たことがないですし、原理的に見ることができないのですから。まさにそういうあり方をしているというそのことこそが心というものの本質なのです。
ただいきなり、そいつが私なんです。これは、世界の中のあらゆるほかのものとは違う種類のあり方です。何の特徴づけも、何の根拠もなしに、じかにそれなのですから。
つまり意識は形式ですから、ロボット工学者がロボットに意識を付与するなんていうことはありえない。意識は物のように付与したり取り去ったりできるような種類の性質ではないから、ロボット工学者がロボットに付与するといえるような意識という実体は存在しない、ということになります。
カント以降の多くの哲学者は、人間の思考から独立した存在そのものを思考することは不可能である、とみなす。そうした存在は、思考された途端に独立性を失い、思考と相関したものになるからだ。ここには、思考と存在の相関的循環がある。この循環を乗り越え、その外部を思考することを目指すのが思弁的実在論である。思弁的実在論のオリジナル・メンバーであるハーマンとカンタン・メイヤスーは、それぞれ汎心論的立場と唯物論的立場をつうじて、相関的循環の乗り越えを目指している。本稿は、ここに永井均の独在論を位置づけることを試みる。永井の独在性をめぐる議論もまた、相関的循環の外部を目指すものであるといえる。
Share This Book 📚
Ready to highlight and find good content?
Glasp is a social web highlighter that people can highlight and organize quotes and thoughts from the web, and access other like-minded people’s learning.
Start Highlighting