Home
My Highlights
Discover
Sign up
Read on Amazon
今を生きるための仏教100話 (平凡社新書0927) (Japanese Edition)
www.amazon.com/dp/B081GZ1G41
Import Your Kindle Highlights to Glasp Today 📚
Top Highlights
カーストによる差別を超えるだけでなく、釈尊自身は、弟子たちに対して対等な立場で接していた。『マハー・ヴァッガ』という原始仏典には、五人の 比丘 を相手に 初 転法輪( 成道 後初の説法) をしているころの共同生活の様子が記されている。三人ずつが交代で 托鉢 して回り、それで得た食べ物で六人が生活していた。釈尊自身も、交代で托鉢の当番を受け持っていたということになる。この点からも、釈尊と五比丘との間には何ら区別も差別もなかったと言うことができる。この事実からして、後世の脚色とは違って、釈尊はブッダ( 覚者) と言っても人間離れした特別の存在ではなかったと言えよう。
ブッダ」(buddha) は固有名詞ではなく、「目覚めた人」を意味する。「法」と〝真の自己〟に目覚めた人のことだ。普遍的真理としてのその「法」は万人に開かれているから、だれであれ「法」に目覚めればブッダである。これが、仏教の説く「法の 下 の平等」である。そこには、在家と出家、男女の間の差別もあるはずがない。
中村元先生は「西洋の絶対者(=神) は人間から断絶しているが、仏教において絶対者(=仏) は人間の内に存し、人間そのものである」と言われた。決して個々の人間から一歩も離れることはない。仏教は、人間を原点に見すえた人間主義であり、人間を〝真の自己〟と「法」に目覚めた人(ブッダ) とするものであった。
Share This Book 📚
Ready to highlight and find good content?
Glasp is a social web highlighter that people can highlight and organize quotes and thoughts from the web, and access other like-minded people’s learning.
Start Highlighting