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千夜千冊エディション 神と理性 西の世界観I (角川ソフィア文庫)
www.amazon.co.jp/dp/B07WQG1F2D
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イデア(idea) とプシュケー(psyche) だ。縮めれば、プラトンの哲学はこの二つのコンセプトに集約される。それを「知」と「魂」とか、「理念」と「精神」とかと言ってもかまわないけれど、そう見たところで何も説明したことにはならない。 イデアというのは理念ではあるが、プラトンにとっては数そのもの、図そのもの、形そのものでもある。「大」とか「小」というときの「大」ということ、それ自体がイデアなのである。イデアは抽象そのものであって、また同時に具体そのものなのだ。 一方、プシュケーには三段階があるだろうとプラトンは言った。理知な魂、気概な魂、欲望な魂の 三タマ だ。だからプラトンにとっては、プシュケーも純粋無雑なものなのではなくて、 三タマ すべてが抽象であって具体そのものなのだ。 なぜ...
もともとプラトンはレスラーだった。
こんなこと、どうでもよいようなことだが、そんなことはない。ひとつには当時のアテナイの青少年たちがことごとく燃えていた「体育の愛」について、ふたつにはプラトンの名に由来する「プラトニック・ラブ」すなわち「普遍的少年愛」についてちょっとでも考えたいなら、この体質は見落とせない。
あろうことか三人の告発者によって、ソクラテスが意外な 科 で裁判にかけられる。「青年を堕落させ、国家の認める神々を認めず、新しい鬼神を信じている」という告発である。 いつの世でもそうだけれど、一貫した思想が語れる者のところに青年青女が集まってきたときは、世間の権威者と 煽情 者 たちというもの、 嫉妬 半分・誤解半分・牽制 半分で、こうした告発をしたがるものなのだ。
プラトンは「対話」(ディアレクティケー) という方法を選びつづけた哲人だった。ソクラテスの裁判記録ともいうべき『ソクラテスの弁明』を除くすべての著作を対話にしたというのは、しかもそこにプラトン自身が語り手としてはまったく登場せず、最晩年の『法律』以外のすべての著作でソクラテスが生き生きと話しつづけているというのは、プラトンの思想が「対話という方法」そのものにあったことを示している。
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