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スピノザの世界 (講談社現代新書)
www.amazon.co.jp/dp/B01N6KWPEA
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事物とは、唯一これっきりの、あのときも今も、これから先もずっと同じ、われわれの生きているこの世界のことだ。スピノザはそれを「神」と呼んでいた。われわれの中で事物が語る。だから、哲学者は無名でいい。私の人間的来歴などどうでもよいのだよ。そうスピノザは言っているように見える。
観念は外から眺める絵のようなものではない。ものを見る視覚そのもの、ものの理解そのもので
一般の生活で通常見られるもののすべてが空虚で無価値であることを経験によって教えられ、また私にとって恐れの原因であり対象であったものは、どれもただ心がそれによって動かされる限りでよいとか悪いとか言えるのだと知ったとき、私はついに決心した、われわれのあずかりうる真の善[ほんとうのよいこと] で、他のすべてを捨ててもただそれだけあれば心が刺激されるような何かが存在しないかどうか、いやむしろ、それが見つかって手に入れば絶え間のない最高の喜びを永遠に享楽できるような、何かそういうものは存在しないかどうか探究してみよ
「自由意志」の幻想と「感情の模倣」。この二つが組み合わさって、ゆるせないでいる。「ねたみ」もそうだ。われわれは他人の欲望をすぐに模倣してしまい、他人と張り合う。隣人が新車を買うと俄然、自分も欲しい。なぜあいつだけがと「ねたみ」を感じる。こういう感情はみな悲しみの一種なので、他人をゆるせないあいだわれわれの自己肯定力は低下していく一方である。何とかならないか。 スピノザの提案は、こういうときは無理に人間をゆるそう、愛そうなどとせず、『エチカ』がここでやっているように自分の感情を自然現象として説明し理解してやる、ということである(第5部定理3、4およびその備考)。私が悲しみとして経験している身体変状には、私が思い浮かべているよりもはるかに多くの原因が嚙んでいる。私の脳内に刻まれた痕跡のネットワ...
『エチカ』はその名のとおり「倫理学」なのになぜ「~すべし」という定言命法がどこにもないのか、その秘密がわれわれにもわかってくる。定理はすべて事態の説明である。「べし」は入り込む余地がない。それに、事態が理解されれば、ことさら「ゆるすべきである」と言うまでもなくなっている。『エチカ』は人間の感情と行動を説明しながら、その説明そのものにゆるしの効果があることを実地に教える、そういう倫理書なのである。というわけで、「神あるいは自然」でもって事物や感情が説明できればできるほど、悲しみはそれだけ除去され人生は強く、愉しくなってくる。この喜びが「神への愛」なのだよとスピノザは言う(第5部定理 15)。なんじ神を愛し隣人を愛せ。これは宗教の教えだが、スピノザはそれを命令形から解き放ち、理性の公然たる愉しみ...
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