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カール・マルクス ──「資本主義」と闘った社会思想家 (ちくま新書) (Japanese Edition)
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マルクスの理論は、人々に社会主義を信奉させ、それによって社会を変えようとするものではない。あるいは、社会主義の到来を「証明」し、人々に社会主義の立場に移るように説得するためのものでもない。資本主義システムの運動法則を明らかにすることによって、その変革の方向性を示し、どのような実践によって「産みの苦しみを短くし、やわらげる」ことができるのかを示すのである。
福音書は正確な歴史的事実の記録ではない。むしろ、それは、まだ未熟であった人間の自己意識が自分たちの本質を宗教という形で表現したものであり、自己意識の産物にほかならない。にもかかわらず、宗教において、人間の自己意識は自己の本質と対立し、受動的な存在におとしめられてしまっている。つまり、自己意識が生み出したはずの宗教が自己意識にとって疎遠なものとなり、その疎遠なものとしての宗教に自己意識が従属してしまっている。 このように、バウアーによれば、宗教とは 自己意識が自己の本質を疎外したもの にほかならない。バウアーは宗教批判によって転倒した事態を暴露することにより、この疎外された本質を人間のもとに取り戻し、人間を解放しようとしたのである。
むしろ理念は「現実的なものそのもののうちに」求められなければならない。この意味で、理念と現実を切り離すことなく、現実を貫くものとして理念を把握するヘーゲル哲学が、マルクスにとって重要な意義をもつものとして現れてきたので
マルクスにとって『資本論』の執筆は、たんなる学問的真理の探究ではなかった。それはなによりも「実践」のためになされたのであり、それじたいが社会変革のための闘いであった。『資本論』には、生涯を社会変革に捧げた人間の闘いの跡が刻み込まれている。その意味でのみ、ロシアの革命家、トロツキーの評言は正当であろう。「マルクスのすべては、『共産党宣言』の中に、『経済学批判』序言や『資本論』の中に存在する。マルクスが第一インタナショナルの創設者でなかったとしても、彼は今と変わらぬ評価のまま永遠に残るだろう」(「レーニンにおける民族的な
まるで境界標のように、過ぎ去った時の前に立ちながらも同時にある新しい方向をはっきりと指し示す人生の時機があるもの
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