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唯識の思想 (講談社学術文庫)
www.amazon.co.jp/dp/B01D06QK8G
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ところでこの「 唯 だ」あるのはなにか、という追求の末に、すべての存在の構成要素は、心の中に認識されて初めて成立するとしたのが「 唯識」という思想です。唯識とは、「 唯 だ 識、すなわち心だけしか存在しない。自分の周りに展開するさまざまな現象は、すべて根本的心、すなわち 阿頼耶識 から生じたもの、変化したものである」と主張する思想です。 これを、〈 一切 は 唯識 所変 である〉といいます。
このようになにも知っていないという心のありようを、〈 無明〉といいます。そして本質的なものをなに一つ知っていないからこそ、すなわち無明という根本煩悩を持っているからこそ、安易に「自分」と「もの」とを設定し、それらに執着し、前者の「自分」への執着、すなわち我執から煩悩障が生じ、後者の「もの」への執着から所知障が生じ、そして最終的に苦しむ結果となるのです。
そこに別の世界が見えてきます。そして「他者があって自己がある」という「理」に気づきます。この「理」を仏教では、〈 縁起 の 理〉と呼びます。縁起とは、「AあればBあり、AなければBなし」という理です。この「縁起の理」は、まさに科学的法則ともいえる理であり、物理・心理・倫理などのほかのすべての理を包括するいちばん深いところにある理であるといえるでしょう。
です。憎む心だけではありません。「自分」と「もの」とに執着して起こす汚れた行為が 刹那 刹那 に 阿頼耶識 に 種子 を植えつけ、阿頼耶識をますます汚く重くしていきます。唯識派はそのような深層心のありようを「 麁 重 縛」と命名しました。 麁重とは字からすると「 麁 く重い」という意味ですが、少し理解し難い言葉です。そこでその反対の心が「 軽 安」、すなわち「軽く安らか」ということから逆に考えてみると、麁重とは心が重く活動性がなく、安穏で爽快ではない状態ということになります。心が思ったとおりに自由に活動でき、常に爽快であることが理想でありますが、現実はその反対で、思ったことを直ちに行動に移すことができません。
心底から重たい状態になっています。それでは表層の身心が爽快で自由であるわけがありません。 そのような深層の重いありようを、すなわち麁重を滅して心の底から清らか
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