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ドゥルーズ 解けない問いを生きる シリーズ・哲学のエッセンス
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『言葉と物』でフーコーは、人間科学にまつわる諸言説を分析しながら、いまが位置づけられるのは、まさに「人間の時代」である「近代」が崩壊していく局面であることを記述していく。そこでフーコーが、「人間の消滅」といういささかエキセントリックなスローガンを掲げるから、この書物もこの思想家も、誤解されたり過度にもちあげられたりもした。
カント以前の)十七世紀であれば、問いを解く基盤は「神」にあっただろう。この世界を設計した「神」の知性が、問題に解答を与えただろう。しかし十八世紀以降の「人間学」の時代において、世界の中心としての「神」はすでに過ぎ去り、「人間」が神の位置にとってかわっている。 だから世界に関する知識の根拠を求めたければ、世界を認識する「人間」の能力が基準になる。
近代とは、この意味で、「人間」を確保している時代だったということである。 だが実際には「人間」が、世界から完全に超越し、それを上からおさえつけるように存在することはありえない。「人間」とは、いつも生物学的・環境的・歴史的につくりだされたものだからである。「人間」とは何かという探求も、それが時空的に多様な側面をもつ以上、終わりのないものである。それゆえ、そこで「人間」は、上からすべてを統括するような装置でありながら、具体的な存在者でもあるという、矛盾した二重性をかねそなえてしまう。
狭義のポストモダン社会、とりわけ七十年代以降の後期資本主義社会は、根拠のなさを一種の産出力へと転化させていくことになる。つまり、フーコーがいう「人間の消滅」を、砂漠の空虚さとして捉えるのではなく、「人間」の枠組みを超えた別のパラダイムが生まれる現場として見直すこと、こうした課題が浮かび上がってくるのである。
このイメージは、ドゥルーズにとって、世界の原型といえるものである。世界とは卵である。そこで世界を記述するとは、未分化な卵とその分化のシステムを描きだすことである。そして世界を生きるとは、卵の未決定性を生き抜いていくことである。何にでもなりうるが、しかし安住すべき拠点もすっかり定められた目的もない、そうした生成でありつづけることである。
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