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スピノザ 「無神論者」は宗教を肯定できるか シリーズ・哲学のエッセンス
www.amazon.co.jp/dp/B013D61EWU
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哲学の目的はもっぱら真理のみであり、これに反して信仰の目的は、これまで十分示したように、服従と敬虔以外の何ものでもない。次に哲学は共通概念を基礎としもっぱら自然からのみ導きだされねばならないが、これと反対に信仰は、物語と言語を基礎としもっぱら聖書と啓示とからのみ導きだされねばならない。
─ 神学と哲学との間には「何らの相互関係も何らの親近関係もない」、無関係だというのである(下巻一四二─一四三頁)。まったく無関係なら衝突も妥協もありはしない。聖書の真理か理性の真理かというあの不毛な論争は偽問題として消え去る。そうやって神学と哲学は最終的に分離されそれぞれの領域を保持するであろう、すなわち「理性は真理と叡智の領域を、神学は敬虔と服従の領域を」(下巻一五四頁)。これが『神学・政治論』前半の最終結論だった。ちょっと意外に思われるかもしれないが、スピノザは神学の存在を否定しない。むしろ敬虔の文法の研究として、それを哲学から自立させようとしているのがわかる。啓示宗教をあざけったり、反対に形而上学と神学を混同するような今日の大方の哲学者とスピノザは違う。哲学は神学に口出しせず、神学も哲...
ゆえに私はここに次のように結論する。敬虔と宗教をただ隣人愛と公正の実行のなかにのみ存せしめ、宗教的ならびに世俗的事柄に関する最高権力の権利をただ行為の上にのみ及ぼさしめ、その他は各人に対してその欲することを考えかつその考えることを言う権利を認めること、これほど共和国の安全のために必要なことはないのである、
スピノザは宗教は迷信だ、どころか、宗教が迷信への対処としてなければならなかった、と言っていることがわかる。そしてその首尾と国家の存亡は別物ではない、宗教制度が失敗するとき迷信がはびこり滅亡が始まるのだと。おそらくわれわれが「敬虔の文法」と名付けたものも、こういう文脈のなかでスピノザは考えているに違いない。正しい文法が守られないとき、群集の力によって定義される統治権は自分自身に対立し、力を失うのである。 有徳の無神論者というパラドックス こうしてスピノザは宗教を、そして無知なる信仰を、そのあずかり知らぬ理由でもって肯定した。 そうかもしれないが、でもやっぱり信じてないんでしょう? そう、信じてないのである。少なくとも信者が信じるようには信じてない。けれども受け入れている。
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