Home
My Highlights
Discover
Sign up
Read on Amazon
聖地巡礼 世界遺産からアニメの舞台まで (中公新書)
www.amazon.co.jp/dp/B0111TSR58
Import Your Kindle Highlights to Glasp Today 📚
Top Highlights
ルックマンの表現を借りれば、宗教の教義や儀礼は一つの「詰合せ」としてワンセットで提示されていた。それをバラして一部だけを購入するようなことは想定されていなかった。だが現代では、個々人の需要に応じて宗教の一部が切り売りされることは珍しくなくなっている。 たとえば、元来はインドの伝統的な宗教技法であったヨガは、今では健康維持やダイエットのためにスポーツジムのプログラムとして提供されることが多い。中には本格的な教義の勉強に進む人もいるが、日本の実践者の多くは、ヨガを宗教とは無関係なものとして受容しているだろう。とりわけ、スピリチュアリティという言葉とともに、伝統的な宗教の技法や思想が流用されるようになっている。 なお、現代的な意味でのスピリチュアルやスピリチュアリティという言葉は、二〇世紀中盤...
伝統的に、聖地は宗教制度や教団によって管理されてきた。聖地には、そこがなぜ特別なのかを語る物語が付随している。宗教制度や教団は、どのような物語を付随させるのかを決めることで、聖地のあり方をコントロールしてきたのである。
たとえば、富士山は 木花之佐久夜毘売 命 という女神と関わる場所であり、山そのものが 浅間神社の御神体とされている。また、真言宗総本山である高野山の奥の院には、山を開いた開祖である弘法大師・空海を祀る廟がある。真言宗では、空海は亡くなったのではなく 入定 したとされ、今でも祀の中で瞑想を続けていると信じられている。そのため、現在でも毎日午前六時と一〇時半の二回、空海のための食事を廟に運ぶ 生身 供 と呼ばれる儀式が続いている。 このように、聖地は、その場を管理する宗教集団の神話や伝承と結びつくがゆえに、特別な場所であった。聖地の意味や位置づけは、宗教集団が公認した物語によって決まってきたのである。しかし、私事化が進む社会では、宗教集団が掲げる物語は、その場所にまつわる数ある物語の一つになっ...
現代の訪問者たちは、神道とも北方防衛・北海道開拓の記憶とも無関係に北海道神宮を訪れる。神社側の物語とは異なる観点から同社を訪問する人々が増えたのである。パワースポットとして同神宮を訪れる人々は、雑誌やテレビで「北海道神宮に行くとパワーがもらえる」といった語りに触れる。そして、エネルギーをもらうために、境内のイチョウや杉の大木に抱きついたり手をかざす。そこでは、「気」や「不思議な力」といった別の文脈にあった概念が神道の世界と結びつけられるのである。
聖地に置かれたアトラクションの多くは、その宗教を信じてなければ意味を持たない。極端に言えば、聖地で信者が崇拝する対象は、信仰のない人にとっては、何の価値もないガラクタかもしれないのである。
Share This Book 📚
Ready to highlight and find good content?
Glasp is a social web highlighter that people can highlight and organize quotes and thoughts from the web, and access other like-minded people’s learning.
Start Highlighting