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人を助けるとはどういうことか ― 本当の「協力関係」をつくる7つの原則
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支援が求められたり提供されたりしたときに、ただ一つ明白なのは、初めのうちクライアントのほうが不利で、支援者のほうが有利だという点である。有利、不利という点は意識しないかもしれないが、双方ともがよい結果が出るかどうかを案じている。うまくいく支援関係を構築するつもりなら、無知の領域について考え、徐々にそれをなくすことによって、不均衡に対処しなければならない(*1)。
医師やセラピスト、ソーシャルワーカー、そしてあらゆる種類のコーチたちは、最善と思って行った支援が、なぜか失敗に終わった経験をしたことがある。私はさまざまな組織でのコンサルタントやマネジャーへのキャリア・コーチとして、彼らが持ちかけた問題に解決策を与えることが多い。そして、あとになって気がつくのだ。私の助言は役に立たなかった上、クライアントは私が提案したことを実行できないし、実行しようという気もないだろう、と。また、コンサルタントをしていて、こんなことがよくあるのを思い出す。グループ・ミーティングで誰かが不適切な行動をとっているとき、私が介入してそれを指摘すると、助けになったと、かなり感謝される。しかし結果として、そうした行動がまったく変わらないことに気づくだけなのだ。
日常生活において、支援とは、自分以外の人間の力添えで問題が解決したり、何かを達成したり、物事をより容易にしたりすることができることである。支援された人は、その物事を自分一人で成し遂げられたかもしれないし、無理だったかもしれない。とにかく支援には、どうにかして物事をより楽なものにしてあげようとか、極端な場合は、すべてをやり遂げてあげよう(溺れかけている人を救う場合など) といった意味合いが込められている。このように支援とは、協力や協調、それ以外にもあらゆる利他的な行動の基盤となるプロセスなのである。私はこうしたカテゴリーを「非公式の」支援と呼ぶことにする。どんな文化でも、こういった支援は慣行化しており、文明的な社会の基礎を成すものと見なされている。おそらくこれには遺伝的な根拠がいくらかあるだろ...
「公式の」支援が必要とされるのは、個人的な面や健康面、または感情面で問題にぶつかり、資格を持った人間から医療サービスや法的な支援、精神的な支えを受けなければならなくなったときだ。われわれは医師や弁護士、牧師、カウンセラー、ソーシャルワーカー、心理学者、精神科医のところへ行き、個人的に関心を向けてもらう。経営者や、組織のリーダーとして、管理や業績面で問題が生じた場合、人は多様なコンサルタントのもとへ行く。こうしたケースでは、専門家から支援を得ることになる。より公式のプロセスになると、契約書やスケジュールを伴い、サービスへの対価として金銭やほかの貴重品のやり取りが出てくる。支援の分析は、大半がこうした公式のレベルのものを扱っている。だが、非公式の支援や準公式の支援のほうがはるかに一般的だし、仮に...
ハリスは示唆に富む著書、『幸福になる関係、壊れてゆく関係──最良の人間関係をつくる心理学 交流分析より(*2)』の中でこう指摘している。人は大人になるまでに「子供」か「大人」あるいは「親」として状況に直面することを選ぶ。なぜなら、こうした役割を人生でどのように果たせばいいかを学んでいるからだ。われわれは「子供っぽい」行動とか、「権威主義的な」行動、あるいは「年相応にふるまう」ことを知っている。与えられた状況でこのうちのどの行動を選ぶかは、相手が誰か、その人はどんな性格か、自分と相手との身分の違いはどれくらいかという先入観に基づく場合が多い。もし相手が、こちらを見下した態度で話すといった親のような行動をとるなら、受動攻撃的な性格になって、子供っぽくふるまうのが適切だと感じるかもしれない。もっと...
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