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わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)
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およそ、どんな共同体でも、このようなコンテクストの摺りあわせを、長い時間をかけて行う。五〇年、一〇〇年とかかって、企業や学校の中だけで通じる言葉や、その地域の中だけで通じる方言などが生まれてくる。 夫婦などはその典型で、最初のうちは異なる文化、異なるコンテクストで育った二人が衝突を繰り返しながら、家の中の様々な事象に共通の名前をつけていく。たとえば電子レンジという家電製品は、「電子レンジ」と呼ぶ家と、「レンジ」と呼ぶ家と、そして「チン」と呼ぶ家が必ずある。しかし、二〇年も連れ添った夫婦で、夫はそれを「チン」と呼び、妻はそれを「レンジ」と呼ぶような家は少ない。育った家での呼び名は違っても、長年一緒に暮らすうちにコンテクストの摺りあわせが起こって、共通の呼び名が固定される。 夫婦、家族のよう...
フィンランド・メソッドに象徴されるヨーロッパの国語教育の主流は、インプット=感じ方は、人それぞれでいいというものだ。文化や宗教が違えば、感じ方は様々になる。前章までで説明してきたように、車内で他人に声をかけるという行為一つとっても、それを失礼だと感じる人もいれば、声をかけなければ失礼だと感じる人もいる。これは内面の自由、良心の自由に関わることなので、強制することはできないし、教育の場でそれを一律にしてはいけない。特に宗教などが違うと、これを強制することは人権問題にまでなる。 しかし、多文化共生社会では、そういったバラバラな個性を持った人間が、全員で社会を構成していかなければならない。だからアウトプットは、一定時間内に何らかのものを出しなさいというのが、フィンランド・メソッドの根底にある思想...
「いい子を演じるのに疲れた」 と言う。私は演劇人なので、そういう子たちには、 「本気で演じたこともないくせに、軽々しく『演じる』なんて使うな」 といった話をする。 もう一つ、彼らが言う口癖の一つに、 「本当の自分は、こんなじゃない」 というものがある。私は、そういう子たちには、 「でもさ、本当の自分なんて見つけたら、たいへんなことになっちゃうよ。新興宗教の教祖にでもなるしかないよ」 と言うことにしている。
人間もまた、同じようなものではないか。本当の自分なんてない。私たちは、社会における様々な役割を演じ、その演じている役割の総体が自己を形成している。 演劇の世界、あるいは心理学の世界では、この演じるべき役割を「ペルソナ」と呼ぶ。ペルソナという単語には、「仮面」という意味と、personの語源となった「人格」という意味が含まれている。仮面の総体が人格を形成する。ただし、その仮面の一枚だけが重すぎると、バランスを欠いて、精神に支障をきたす。
人びとは、父親・母親という役割や、夫・妻という役割を無理して演じているのだろうか。多くの市民は、それもまた自分の人生の一部分として受け入れ、楽しさと苦しさを同居させながら人生を生きている。いや、そのような市民を作ることこそが、教育の目的だろう。演じることが悪いのではない。「演じさせられる」と感じてしまったときに、問題が起こる。ならばまず、主体的に「演じる」子どもたちを作ろう。
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